2008-03-01 11:30:00

ブーケおぼえがき 2007

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【おもてなしのブーケ】

 

今日、新築の家の台所が食卓と向き合うように配置されうようになったのも、人を家に招く機会がふえているからでしょうか。そんな場面で活躍するおもてなしのブーケは、誰もがその季節を感じられるように作っています。すなわち、茶席に花を飾る習慣と一緒で、もてなす時にブーケがあることが大切です。

 

料理人のアラン・パッサールは、食べることは幸福を知ること、といっています。おもてなしもパッサール風にいえば、幸福を知る時間、ということになるのかもしれません。パリのバスティーユにある本屋や札幌の名画座を訪れた時、季節の花に迎えられて心が和むのも、その空間にブーケが飾ってあるからでしょう。

 

さて、来月からワークショップを自宅で行う私としては、気の利いた北欧家具もないここアトリエでのおもてなしに悩む毎日です。季節の花があるのは当たり前。まあ、エスプレッソマシンぐらいは新品にしてと。(2007.1)

 

 

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【スイートピーのブーケ】

 

2月から4月に作るスイートピーのブーケは、ジャスミンやスノーボールの花、ピスタキアの枝葉とともに束ねています。ブーケの組み合わせというのは、新しい花材を知ったりすることで毎年変わってくるものですが、この時期のスイートピーのブーケに関してはもう何年も変わることはありません。

 

もっとも、スイートピーのブーケといえば、初夏のイギリスやフランスで見られるシャクヤクや薔薇の花との組み合わせが一般的です。しかしスイートピーはイタリア・シチリア島が原産の花だと考えた時、同じ熱帯のつる性植物のジャスミンとこんな風に合わせるのも良いかなと思っています。

 

ところで、写真では背景にプラムの木があるからなのかも知れませんが、このブーケは白、薄桃、若草の色どりで、ひなまつりにもぴったりな気がするのは私だけでしょうか。(2007.2)

 

 

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【送別会や発表会のブーケ】

 

送別会や発表会。その主役に贈るブーケは、部屋に飾って楽しむ前に集いの演出としての役割もあります。すなわち「チューリップよ」「この薔薇みたいな花はラナンキュラスね」と一目で束ねた花がわかるブーケほど効果的。

 

でもそれは、ただ同じ花を束ねるだけではありません。花が自然の中で咲いているように、いくつかの枝葉も組み合わせて、花を緑の中で引き立たせます。なぜなら、私たちが一目見てエレガントに感じるブーケほど、束ねた花の種類は少なく、枝葉の種類は多いものだからです。

 

そういえば、昨年のベルリン・フィルのジルヴェスターコンサートで指揮者と3人の歌手に贈られたブーケも、白いチューリップに枝葉を組み合わせたもので、舞台に4つ並んで良い見栄え。私がテレビに向かって拍手していたのはいうまでもありません。(2007.3)

 

 

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【葉で巻いた器のタンバルブーケ】

 

葉で巻いた器に花束を飾ったタンバルブーケを初めて見たのは私が花屋になる前のこと。1998年の雑誌で、たしかクリスチャン・トルチュがやっていたと記憶しています。器を葉で巻く斬新さと、古いフランドル派の絵画のようなやさしい花の姿に、私は一目惚れしてしまったというわけです。

 

タンバルとはフランス語で円筒型というほどの意味で、このブーケは円筒型の器に葉を巻き、丸く作った花束を器にセットして出来上がります。今日、母の日や誕生日などの贈り物にタンバルブーケが選ばれるようになったのも、そのまますぐに飾ることができ、葉の器がどんな場所にも避け込むからなのかもしれません。

 

もっとも、私が12年間作り続けているように、タンバルブーケは作っても楽しいものです。花束を器にセットした時のあの満足感。ワークショップで作った経験がある方なら、この気持ちはおわかりでしょう。(2007.4) 

 

 

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【母の日に、アンデルセンのブーケ】

 

アンデルセン童話には「亜麻」や「樅」といった植物の話がいっぱいあって、花好きをおおいに喜ばすわけですが、アンデルセンが私を童話よりも喜ばしたのは、彼がよく自分でブーケを作って人に贈っていたというエピソードです。

 

たぶん19世紀中庸の花屋はまだ庶民が利用できる存在ではなかったからでしょうが、私はこの素敵な話を知ってこうも考えます。贈る人自らが作ったブーケは、花屋がどんなに上手に作ったブーケよりも、贈られた人を驚かし、もっと喜ばすにちがいありません。

 

すなわち、ブーケ作りで一番大切なことは、私がこの場で述べるような理屈ではなく、心を込めて作ることでありますから、贈る人自らが作る、いわばアンデルセンのブーケは、母の日によろしかろうと思います。そういえば、母の日に子供がブーケを作る習慣があるのはルーマニアだったかなあ。(2007.5) 

 

 

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【初夏の森のブーケ】

 

小振りの薔薇やベルテッセッン、それに宿根のスイートピーといった小さな花を集め、羊歯などの身地近な葉と組み合わせた花束。これを白樺の樹皮で覆った器に飾るのが初夏の森のブーケです。

 

季節の贈り物として、あるいはピクニックや野外での結婚式のように、太陽の下で食事をする場面に飾れば、あたりの自然とぴったり調和します。すなわち、6月の北海道はヨーロッパのようにそよ風が気持ち良い気候ですから、この時期に作るブーケは青空や草むらが良く似合うのが特徴です。

 

ちなみに、このブーケはサイクリングの途中で立ち寄った札幌のとなり、当別町の夏至祭で、クネッケに鰊のオイル漬けをのせて食べながら、その場に飾られていた白樺のマイストングや小さな花のシェッペルを眺めた時、「あっこの組み合わせ!」と思いつきました。(2007.6)

 

 

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【乾燥ラベンダーのタンバル】

 

「夏にブーケを東京まで送ってくれませんか」という依頼があって提案したのがこのラベンダーのタンバルです。香りと色が次の夏まで楽しめることを考えた結果、北海道砂川市の畑で収穫後すぐに乾燥させた新鮮なラベンダーを使って作っています。

 

タンバルというように、これは約400本のラベンダーを円筒型の器に覆った花飾りです。その扇形は畑のラベンダーの姿を連想させるかもしれません。また、年によって香りや色がワインのように異なるのも、このタンバルの楽しみ方でありましょう。

 

ラベンダーと聞くと、入浴剤にしたローマ人、香水にしたベネディクト派の僧侶、室内で踏んで香りを楽しむプロヴァンスの習慣を思い出す方も多いでしょうが、毎年7月下旬頃にタンンバルを作っている私のことも、みなさん、どうぞお忘れなく。(2007.7)

 

 

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【お供えのブーケ】

 

お供えのブーケは何日か飾ることができるように、冬から春はラナンキュラスの花に常緑樹、夏から秋はリシアンサスの花に香草や実付きの枝葉で作っています。いずれも、その季節に合わせた花もちの良い組み合わせです。

 

たとえば、昨年のお盆に作ったタンバルブーケは、リシアンサス、樫、ピスタキア、ユーカリの花束をハランの器に飾っています。若いドングリが立秋を過ぎた時期の控え目なアクセント。すなわち、花を供えるということは季節をお知らせすることでもあるわけです。

 

ちなみに花束の場合は、供花用の器は高さがあることが多いので、田園風に花丈を少し長めに仕上げています。フランスの花屋でブーケ・シャンペトルと呼ばれているものです。(2007.8)

 

 

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【結婚記念日のブーケ】

 

結婚記念日のブーケは薔薇の花に季節の枝葉、それにアイビーの葉を添えて作っています。白い薔薇には相思相愛、アイビーには結婚の愚意があるからで、愛情を固めるようにブーケはできるだけ丸く、ロマンチックに仕上げています。

 

また、結婚記念日のブーケは自宅に限らず、レストランの予約席に決められた時間に届けることが多いことを考えますと、このブーケは大切な日を過ごす演出の役割もあるのかもしれません。

 

そういえば、昨年まで味わうことができた「釣り竿」という意味がある私のお気に入りのレストランで、給仕がいつも以上に笑顔で迎えてくれた日がありました。その日は予約をして、私は花束を抱えて訪れたから、きっと私の結婚記念日だと思われたにちがいない。(2007.9)

 

 

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【この秋の新しいブーケ】

 

近ごろ、私の住む北海道では、マルセイユ・エロンやコールラビ、イタリア・カボチャなど、これまで輸入品でしか知らなかった果物や野菜が作られるようになりましたが、このことは花き栽培にもいえて、新しい花材が登場しています。

 

たとえば、この秋から新鮮な北海道産が出回るようになったコティナスもそのひとつです。スモークツリーの葉といった方がわかりやすいかもしれませんが、その鳶茶ともいうべき葉色は、薔薇やリシアンサスの花と組み合わせれば、大人しやかな秋のブーケができあがります。

 

実際、コティナスは鮮度が良くないと水が下がりやすいため、使うことを控えていましたから、こういった花材が北海道でも栽培されるようになってきますと、私は何だか追い風を感じずにはいられない、とついつい思ってしまいます。そうだと良いんだけれど。(2007.10)

 

 

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【買う楽しみのブーケ】

 

ブーケにはいろいろな楽しみ方があります。贈る楽しみ、貰う楽しみ、飾る楽しみ、作る楽しみ。でも、忘れてはならないのは買う楽しみです。すなわち、パン屋のようにわざわざ買いにいく花屋というのは、きっとそこに買う楽しみがあるからにちがいありません。

 

写真はもうずいぶん昔、パリのクリスチャン・トルチュで買った厳冬のブーケです。まだ田舎臭さがあった時代であることが、たっぷり束ねた木蔦からみてとれます。玉村豊男さんが汚れた素焼きの鉢を一目見て「ただものではない」と述べたように、美しいディスプレイが評判だったころでした。

 

この時私は、3週間毎日この店を観察して、ブーケには買う楽しみがあることを知ります。私も含め、この店を訪れる人がみなニッコリとするわけです。クリスチャン・トルチュは20年前の雑誌のインタヴューでこう述べています。「人々は花を買うために花屋に来るのではありません。夢を求めてくるのです」(2007.11)